平和祈念公園の過去とは?激戦を極めた沖縄戦とは?


今回は、沖縄の激戦を極めた沖縄戦について詳しく紹介したいと思います。

主な経過
1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)6月23日までを紹介します。

1941年(昭和16年)12月8日
太平洋戦争が始まる


日本軍がハワイ・真珠湾を奇襲攻撃したことでアメリカとの間に戦争が勃発した。
日本政府(大本営)は沖縄を防衛の拠点とするため、伊江島に飛行場を造るなど次々に軍施設を整備し始めました。

1944年(昭和19年)10月10日
那覇市が空襲を受ける(十・十空襲)


米軍の爆撃機が那覇上空に飛来した。
午前6時半から5回にわたった空襲で那覇市の約9割が焼失し、民間人の女性や子供には北部への非難が勧告されました。
本土へ避難する「疎開」も始まるが、学生は国の命令により勉強を中断して軍の手伝いをする「学徒動員」がお行われました。

1945年(昭和20年)3月23日
米軍の機動部隊が沖縄本島に艦砲射撃開始(沖縄戦の始まり)


県立一高女、二高女といった女子学生が学徒動員で南部陸軍病院に配属されます。
慶良間諸島全域が制圧され、首里城の地下の守備軍司令官部への砲撃が行われました。

4月1日
米軍・本島へ上陸


読谷・北谷の海岸から兵員18万3000人が上陸し、司令部を目指して南下しました。
侵略により各地で民間人の「集団自決」が勃発します。
「鉄血勤皇隊」と呼ばれる学徒動員の少年兵による捨て身の攻撃も行われましたが、
那覇市の制圧により5月30日、司令部は南部・摩文仁に撤退しました。

6月23日
牛島軍司令官自決
沖縄戦が事実上終結


日本軍の牛島司令官の下、泥沼の戦いが南部・摩文仁の丘で繰り広げられました。
学徒動員された看護要員をはじめ、誤った情報で南部に避難していった多くの民間人が犠牲になったが、牛島司令官の自決によって戦闘は事実上終結した。
掃討作戦ののち投降者は収容所に送られ、7月2日、米軍は作戦の終了を宣言しました。


6月23日は沖縄の公休日!

沖縄戦が事実上終結した6月23日は、「沖縄慰霊の日」として公休日になっています。
この日は、平和祈念公園で首相を交えた平和祈念式典がおこなわれ、公共機関や学校は休みになります。
沖縄にとっては大切な日なので、とくに南部を訪れる際ははしゃぎすぎないよう節度を心がけて行動してね。

次回は、ひめゆりの塔を紹介します。
お楽しみに!
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